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10月1日

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川崎市にある岡本太郎美術館で

行われた「TAROと踊ろう」という

舞踏系?のイベントを観てきました。

 

美大浪人中に友人に誘われて観に行って

以来、20年近く2作に一度は

見続けてきた、パパタラフマラが解散する

ことになったそうなので、その最終作品を

見逃してはいけないと思いました。

 

とはいうものの、ここ5年くらいパパタラの

作品は社会的なイデオロギーが前面に

出過ぎてあまり共感できず、メンバーの

白井さんががんばっている姿を見続けて

エネルギーを分けてもらいに行っていた

というのが正直なところでした。

 

しかし、今回の作品は、中期の

パパタラフマラ(初期は知らず)を観た

時に印象的だった、視覚的な美しさや、

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抽象性の高い数学的な構成要素のエッセンスをシンプルな中に深化させた内容に感じられ、まるで四声のフーガのような複雑なユニゾンなどの

美しさが感じられて久しぶりに感動させてもらいました。パパタラならではの舞台美術・衣装・踊り・音楽の高い次元での融合。

誤解を恐れずに私見を述べさせてもらえば、中期のパパタラフマラの鍵は、小川摩利子さん(と小池博史さんの関係?)にあったような気がします。

背も高くて発声の美しい小川さんは絵画的な舞台美術の上で絵になりました。(良くも悪くも)彼女の登場で舞台構成の核ができてしまうので、

彼女を失ったあとのパパタラフマラの構成の方向性(特に美的な内容について)は迷走していたような気がします。

(松島さんや関口さんも個性的な表現力のある方々でしたが、舞台美術と融合した美的な質の方向性を深められなかった。)

その後、白井さんの踊りが核を担う力をつけてまとまるまでには(いろいろな意味で)時間が必要だったと感じられます。そういう意味でも、

今回の「TAROと踊ろう」の作品のクオリティーの高さは、いろいろな変遷を乗り越えてひとつの稜線に出た感があり、他人事ながらうれしく思いました。

こうなると、勝手ながら解散が惜しまれます。(前前作のパンク・ドンキホーテを観た後は、もうパパタラ観なくていいやと思った私だったのですが)

芸事の旬というのは、いつやってきて、いつ去っていくのかわからないなぁ、などと考えながら帰宅しました。

 

(原発関連の風評被害に加担する恐れがあったので、文章を10月3日に書き直しました。)